林檎の木の下で

林檎の木の下で (新潮クレスト・ブックス)

林檎の木の下で (新潮クレスト・ブックス)

アリス・マンローの語る3世紀にわたる年代記。長い長い旅をするつもりで読んだ。同じ名前の人物が何人も出てきたり突然語られている対象が変わったりと少し読みにくい部分もあり、私の歴史的文学的素養では読みこなせない部分もあったけれど、それでもなおひきつけられると言うか、何度も読み返したくなる魅力にあふれている。理解できなくてページを戻し、気がついたら再読が必要だった部分だけでなくほかのところまで読み返している、と言ったような具合に。そんな苦労をさせられたけれど、結果としてその旅は大変に実り多いものとなったのでした。

第一部「良いことは何もない」「キャッスル・ロックからの眺め」「イリノイ」「モリス郡区の原野」「生活のために働く」は3代以上前の祖先の物語。「良いことは何もない」と言われたエトリックに住んでいたたくましい名も無き人たち。そこから新大陸を目指し船に乗った人たち。新大陸で新しい生活を切り開いていく人たち。そんな中にいる語り部、物書きの素質を持った人たち。それぞれのエピソードが生き生きとまるでみてきたかのように語られる。そこには劇的な何かは無いけれど、人々が人間くさく、まさにそこに生きていると感じさせる筆致で描かれている。しかし、これだけではないのがマンローのすごいところなのだろう。さっきまで一緒に船に乗って航海をしていた人たちの名前が次の場面では墓碑銘になっている。その唐突とも思える手法で、そこには現在に繋がる長い長い時間が流れていることが示されるのだ。

第2部「父親たち」「林檎の木の下で」「雇われさん」「チケット」「家」「何のために知りたいか」はマンロー自身と両親の物語。「地位にふさわしい以上の知性を負わされた」父とマンローの心情、少女時代のマンローの大胆さと頑なさ、自分が選び取れなかったものへの羨望と嫉妬、階級意識、女の生来の本能の欠如、そんなことが色濃く描かれている。それらは共感を呼ぶこともあればそうでないこともある。しかし、共感を呼ばなかったとしても生々しい感情の前に私は平常心でいられない。自分の中に確かに存在しているものをまざまざと見せ付けられたような気がする。

エピローグ「メッセンジャー」で祖先の物語とマンローの物語が繋がったときには自分の中に流れる血、血脈と言うものを意識せずにはいられなくなる。私が今ここで生きているのはたくさんの無名の人たちが生の営みを着々と続けてきた結果であるのだ。それは別に私のために続けられてきたと言うことではなくて、無名の人たちの生活の営みが結果として現在に至ったと言うだけなのだが、その長い流れに思いを馳せずにはいられない。

織物やキルトのように美しさと強さを持ち合わせた物語。