人格障害をめぐる冒険

人格障害をめぐる冒険

人格障害」という言葉が日本で一般に広く知れ渡ったのは宮崎勤の精神鑑定以降らしい。精神医学界で使われ始めたのがその10年前、1980年、アメリカで開発された「心の障害の診断と統計のマニュアル(DSM-3)」で定義されてからである。以降、この言葉がどんな使われ方をし、どのような役割を果たしてきたのかを追うノンフィクション

結果として「人格障害」はいくつかの症状にネーミングをしてカテゴライズするための言葉に過ぎず、その実態はいまだに良くわからない。そればかりか、「人格障害」に対する明確なアプローチも確立されていないというのが実情のよう。いくつかの症状を呈する病が「人格障害」とネーミングされていることによって得られていたある種の安心感や拠り所といったものが急速に自分の中から失われていくのがわかった。
だからといって、いくつかの症状にネーミングしカテゴライズすることが全く無意味なのではないと思う。人が、その言葉が作られた時点での意味以上の意味をその言葉に見出すのは、言葉を使っていく以上どうしようもないことであるし、ネーミングをしカテゴライズすることによって、ネーミングされたいくつかの症状を呈する病について、あるところでの共通の理解をもたらすとこともまた事実なのだ。

この本については『「人格障害」という言葉』に注目するという切り口が面白かった。そして、それが客観的に捕らえられているというよりは個人的な部分で捉えられた主観的なノンフィクションになっているところも個性的だ。これはこの著者のスタイルのようだけれども、著者の思考に読者がついていかなくてはならないので読みにくさも感じた。それは精神医療やDMSについては看護師をして看護診断を使っていたことがあるという、私の個人的な事情からもう少し違った見方もしてみたかったという思いがあったせいかもしれない。この著者が一時期入信していたというエホバの証人についてのルポ「説得」が読んでみたいと思う。

説得―エホバの証人と輸血拒否事件 (講談社文庫)

説得―エホバの証人と輸血拒否事件 (講談社文庫)