ニート―フリーターでもなく失業者でもなく

ニート―フリーターでもなく失業者でもなく

近頃ニュースでも時々耳にする「ニート」という言葉。「働きも学びもしない16歳から34歳までの若者」のことを言うらしい。(あぁ、私はもう若者の仲間に入れてもらえないのね・・・。←あたりまえ)働かないってことは働かなくても親のすねをかじって食べていけるってことで、私なんかはその存在を「甘えてる」としか捕らえられない。でももしかしたらもうちょっと違う見方ができるんじゃないかなと思ったりもして読んでみたんだけど・・・。

なんとなく中途半端な印象。何も分析されていない。まず「ニート」の定義がはっきりしない。もともとイギリスで定義された言葉だけれど日本での捕らえ方は既に別物になっているらしい。でもその定義が最後まではっきりしない。定義をはっきりさせない理由は「ニート」事体が捕らえどころのない存在だということと、定義をおいて分類しても無意味だという著者の考えからだ。「ニート」を理解するには類型的な理解ではなく「ニート」一人一人の状況を理解することが大切なのだということらしい。そうは言っても「ニート」という題材で一冊の著書をしるす時にその定義がなされていないというのはどうなんだろう?「ニート」の存在が身近にあるのであればそんな定義は無意味だというのも判らなくはないが、本書を読む人は「ニート」という存在がどういう存在なのか知りたくて読むのではないか。そういったニーズには何も答えていない本である。もしかすると「ニート」向けに書かれた本であるのかもしれない。

そんな曖昧なところから始まった著書であるからか、全体を読んでも何かぼんやりとしている。学者とノンフィクションライターの共著であるのだけれど、双方がお互いの論旨について理解しあっていないように思える。学者は「ニート」になる可能性が高いのは中卒、高校中退、不登校経験者がなりやすいといっているのに対し、次の章でノンフィクションライターは大卒後の「ニート」を取材していたりする。結婚後に「ニート」になった男性も取り上げられているが「専業主夫」と捉えると何の問題もない例だ。学者が「ニート」を社会的な病巣として捉えているのに対しノンフィクションライターは「ニート」が精神論的なものであると捉えているように思える。こうした違いも「ニート」の定義がはっきりしないせいではないだろうか。あくまでも「ニート」が捕らえどころのない存在なのだという印象を読者に与えることには成功しているかもしれないけれども。

後半では唯一の「ニート」対策である(かもしれない)14歳の就業体験について述べられているけれども、こちらも唐突な印象だ。不登校に対しては効果があるようだが、それが「ニート」対策になるかどうかはまだ未知数だ。それを「ニート」と題される本書の約半分のページを使って取り上げるのは乱暴に感じる。

そして最後に学者があくまでも「仕事」と「やりたいこと」を結びつける書きかたにも抵抗を覚える。「やりたいこと」が見つからなくても不幸ではない。でもやりたいことが見つかる確立は働いている場合のほうが何倍も高いなどと言っているけれども、そもそも「仕事」と「やりたいこと」を同列に考えるから「ニート」は働くことができないのではないか。仕事は「労働の対価に賃金を得ること」であってそれ以上でもそれ以下でもない。仕事の中にやりがいを見つけるのは勝手だけれども、基本を忘れてはいけないんじゃないか。食べていくために仕事を選んだものとしてはそこらへんがどうも引っかかってしまうのだ。結局「ニートだなんて甘えてるんじゃないよ!」と思わせてしまう本書は「ニート」のためにもならないんじゃないかと思う。