ブレンダと呼ばれた少年

ブレンダと呼ばれた少年

ブレンダと呼ばれた少年

不幸な事故で性器を失った男の子が性転換手術を受けさせられた。「性は環境によってつくられる」という理論の裏付けに利用された「少女」が直面した心の葛藤とは-。無名舎2000年刊の再刊。

医療ミスでペニスを失うことになった少年を、去勢して女の子として育てる。それは「性差はもって生まれたものではなく、環境によって作られる」という理論に基づいた治療であるのだけれど、今の時代から考えると、ものすごく乱暴な考えだと思う。
1960年代にはそれが主流の考えだったのだけど(たったの40年ほど前のこと!)、それを声高に唱え賛同を得ていたのは、内分泌や脳や泌尿器を扱う医師ではなくて、心理学者ということに驚いた。精神科医でもない、心理学者。心理学を医学と比較して劣っていると考えているわけでではなくて、男性を女性として、またはその反対、または半陰陽の人をどちらかの性に決定するにはホルモン剤を使ったりメスを入れたりするわけで、そういう行為のよりどころが、ほとんど症例もない心理学の理論に基づいていたということに驚くのだ。その心理学者(マネー博士)にカリスマ性があったこと、フェミニズムがそこに乗っかったという時代の流れ、等の要素があって、長い間、それが主流な考えとして定着したんだろうけど。

「自分は女ではない」といつも違和感を感じながら、周囲の期待に沿って女の子以上の女の子を演じ続けなければならず、治療と称し、性交時の写真を見せられたり性交の真似事をさせられ写真を取られる、そんな生活は想像を絶するものだ。そして、その対照としてしか見られない人生を送っていた双子の弟ブライアン。辛く苦しい経験を経て、ディビットは男性に戻ったが、それでも過去は変えられない。ふたりは心に深い深い傷を追ってしまった。

過去のことのように語ったけれど、実際、ディビットと同じような処置を施されて、いまだに苦しんでいる人たちは確実に存在する。そして、その初めての症例(とその対照)、成功例とされてきたディビットとブライアンはふたりとも自殺しているのだ。

とても興味深く読み応えのあるノンフィクションだった。ただ、八木秀次氏の解説はどうかと思う。この理論を間違って取り上げ、ジェンダーフリーの主張の元になる理論としてしまったフェミニズムにはもちろん非もあるだろうが、今現在のフェミニズムは『「社会的・文化的」に作られたジェンダーにとらわれない生き方をしよう』というのが趣旨であって、生まれ持った性差を否定するものではないと思う。そして、この本の解説としてフェミニズムバッシングをするのはどうかと思う。この本の著者、そしてディビットとブライアンが命を懸けて伝えたかったことを、読む人にまっすぐ受け取ってもらいたい。