プリズン・ボーイズ―奇跡の作文教室

プリズン・ボーイズ―奇跡の作文教室

プリズン・ボーイズ―奇跡の作文教室

 

創作に行きづまり、ひょんなことから少年院で作文を教えることになった作家を待ち受けていたものは?殺人や強盗を犯した少年たちとの向き合い方に苦悩しながらも、少年院に通うことが楽しくなっていく作家。作文でしだいに心が解き放たれていく少年たち。重い判決を言いわたされて去っていく少年たちを、ただ見ていることしかできないのか…。ロサンゼルスの重罪少年院で感動の人間ドラマが繰り広げられる!ロサンゼルスの少年院の作文教室を舞台にした感動の人間ドラマ。

この本、本当にいい本だった。アメリカという国の愚劣さと崇高さを同時に見せつけられた気がする。
著者が作文を教えることになる重罪少年院に入っている子供たちは、ゲットーと呼ばれる地域で生まれ育ち極度に貧乏で常日頃から暴力にさらされていた。身を守るために教育もろくに受けずにギャングに入り、強盗や殺人を犯してしまった子供たち。少年院から出たとしても戻っていく環境は今までと同じ。さらに罪を犯し少年院へ戻ってきてしまう。そしてそんな子供たちに向けられる目は冷たく、裁判では理不尽なまでの重い判決を受け成人用刑務所に入れられる。成人用刑務所は更生の場ではなく、麻薬と暴力の温床となっている。時には殺人まで起こるのだ。
そんな過酷な状況に生きている子供たち。教育もほとんど受けていず、自分の内面に目を向けることのなかった子供たち。そんな子供たちが作文を書くことによって目覚めていく。もちろん最初からうまくいったわけではない。すべての子供が素晴らしい作文を書いたわけでもない。著者ですら、最初はそういう少年たちに冷たい目を向ける恵まれた大人でしかなかった。けれども文章を書くことで少年たちは心を開き、それを受け止めた著者も心を開く。そして深いつながりが出来ていく。その過程が少年たちの作文とともに語られていく。笑ったり喧嘩したり感心したり、読者は著者と同じ目線で一緒に作文教室に参加していく。
しかし、現実は厳しい。作文教室がきっかけで少年たちが自分自身に目覚めても、それは些細な出来事に過ぎない。重罪を犯した過去の償いをしなくてはならない。それがたとえ理不尽なものであっても。著者は自分の作文教室が通過点の一部に過ぎないこと、大きな社会の流れを変えるほどの力を何も持たないことに無力感を感じることになるが、わずかな希望を繋いでいく。「ほんの少しのいいことは、いいことがまったくないよりはましなのではないか」と。

余談。この本をアマゾンでチェックすると「僕らの事情。」も一緒にどうぞとお薦めされる。なかなかいい線ついてるなぁ。「僕らの事情。」とどこか共通するところがある。きっとどちらかを好きな人はもう片方も好きだと思う。この2冊、週刊ブックレビューつながりなのね、なるほど。