桐畑家の縁談

桐畑家の縁談

桐畑家の縁談

「結婚することにした」 妹・佳子の告白により、にわかに落ち着きをなくす姉・露子(独身)。寡黙な父、饒舌な母、そして素っ頓狂な大伯父をも巻き込んだ桐畑姉妹の悩ましくもうるわしき20代の日々。「さようなら、コタツ」の著者がもどかしいほどの姉妹の人生を、ユーモラスな視点で綴った作品。

しゃれっ気のない奥手な妹・佳子が日本語もおぼつかない台湾人と結婚すると言い出した。そこからはじまる桐畑家のちょっとした騒動。いつも彼氏がいるのになんとなく結婚には踏み切れない、姉の露子を中心にした、一種の負け犬小説であり、家族小説でもある。負け犬小説というと、独身の主人公は不器用な30代独身というようなイメージがあるけれど、この露子は27歳。いつも適当に見栄えのいい彼氏がいて適当にうまくやっている。多少の自己嫌悪を感じることはあるけれど、基本的な自己評価は低くない、育ちの良いお嬢さんタイプなのだ。角田光代なら、前者のイメージに加え、嫌悪感ぎりぎり、または、「もう、しょうがないなー」とあきれられそうな人物を描くだろう(最近の著作には疎いんだけれど)。この違いが面白いなと思う。

主人公の露子、そして自分の道を黙々と突き進む妹の佳子、両親、大叔父、彼氏、妹の婚約者ウー・ミンゾン、出てくる人物がみなそれぞれに魅力ある人物に描かれている。人物だけでなく、文章自体がとてもユーモラス。その面白さは真顔でジョークを言われるような面白さで、通り過ぎてふと立ち止まってふふっと笑う、そんな魅力的な文章だ。そしてそのユーモラスな文章の中に効果的に文学的な表現が混じる。たとえばこんな。

むろん身動きが取れなくて、砂の中を歩くことなど出来ないのだが、足掻いているうちに口や目に砂が入り、いつか砂は感覚を掌るすべての器官に砂がぎっしりとつめこまれる。そしてゆっくり周囲の砂が、その重くなった体を押し上げ、小石や貝殻やガラス壜のかけらを排出するように、地表へ屍体となった異物を吐き出す。ちょうどそんな感じなのだと、以前佳子は言った。

物語の中で桐畑家にも露子にも大きな変化は起こらない。けれどもこの仲の良い姉妹がそれぞれに幼い頃から大切にしてきた自分の中の何かの種を確実に実らせつつあるその一時期をほほえましく、すがすがしい気持ちで読んだ。宮下奈都の「スコーレNo.4」にも通じる雰囲気がある、素敵な物語だ。
ただ、中島京子の作品ははじめて読んだのでなんとも言えないが、この人はもっと心に深い何かを残す作品を書けそうな気がする。この作品は良作だけどすらすら読めて心地よすぎる。上に引用したような文章が書けるのなら、もっと深い作品を書いて欲しいし読みたいと思ってしまう。これは過大な期待かもしれないけど、そういう期待を持つのが当然と思える作家なのだ。