幸福論

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少子化、高齢化、階層化など、閉塞状況がおおう現代日本の生きがたい状況をめぐり、現代女性の生き方を画期的な視点から論じる小倉千加子と、高度消費社会の混沌を生きる中村うさぎが徹底的に語り合い、見えない危機を探る。

痛々しいだの何だのと文句を言いつつ結構著作を読んでいる中村うさぎフェミニズムももう古臭いよなと思いつつなんだか気になってしまう小倉千加子の対談。私みたいに普段何も考えてないような専業主婦が頭の体操をするにはもってこいな本。脳みそフル回転というわけではないけれど、普段使わない部分を使って血行が良くなった的な爽快感がある。

以下、気になった部分。

小倉 「『ハッピー・マニア安野モヨコ)』に「ふるえるほどのしあわせってどこにあるんだろう」というセリフがある。つまり、いままで「ふるえるほどのしあわせ」を一度たりとも感じたことがない人なんですね、安野さんは。(中略)私はあります。私は逆にわからない。だからこういう世界にずーっと生き続けるということが信じられない。でも、ないと思って学生をみればよくわかるんです。「これはたいへんなことなんだな」って。

これについて中村うさぎは「ふるえるほどのしあわせ」を感じたことがないというんだけれども(ここでいう幸せは一時的な快感とは違う継続的な幸せ)、あぁそうなのか!と。生きている実感とか他人や自分に対する信頼感とかいうようなものがものすごく薄いんだ。けれどもどこかに「しあわせ」があるという考えからも完全には自由になれない。若い人が生き難いというのはこういう状況にいるからなんだ。それは本当に大変なことだ。はっきりとは想像できないけれど、そういう人生はつらすぎると思う。

小倉 フェミニズムは、女性を、その女性偏差値というもので裁くなというふうに今までいってきたんだけれども、消費社会は逆に男性に、男性偏差値をつける方向に、皮肉なことに動いてしまって、そこにおいて、人間はやっぱり見た目にも美しいほうが、人にいい印象を与えるからという、そういう差別を男性に加えた。男性もそういう市場に招き入れられたわけです。

中村 (前略)その意味では男女平等になったわけですね(笑)。(中略)どっちみち、幸福に向かっての進歩ではないわけですよね。

そしてその消費すら行き詰まりになっていて、これからどうなるのか。全体主義も消費社会も私たちを幸福にしなかった。そこから個人主義が出てくるけれども、とびぬけた「個性」をもっている人は少なくて、何者にもなれない大衆はこの生き難い人生をどこへ向かってすすめばいいのか。どうすれば個人は幸福になれるのか。生きている意味はどこにあるのか。あー、考えれば考えるほどわからん。そこで考えることを放棄してはいけないんだけれども、こういうことを言った人もいるらしい。

小倉 人生に意味を問うこと自体が病気だと、フロイトは言うんですよね。(中略)働くことに意味があるといってるんですよ。(中略)自分の仕事。ちゃんとその日にしなきゃならない仕事さえしていれば、人生の意味を問うゆとりすらない。そういう人生が本物だとフロイトは言うわけです。

なんとなく、これが一番しっくり来るような気がする。「仕事」というのは「生きがいとしての仕事」とかいうものではなくて、生きていくために必要な営みのようなもの。それを毎日こなしていくというところになにか頭で考える人生の意味を超えた何かがあるような気がする。これは私の理解なので、フロイトが言っていることとはまた違うのかもしれないけど。